災害支援における被災者中心とは? 熊本地震ペット支援のケースから

災害時の支援のあり方~被災者に寄り添う支援とは?
以前、熊本地震で最も大規模な仮設住宅の一つであるテクノ仮設を訪れたときのことです。久しぶりに「わんにゃんハウス」の卒業生であるペットたちとの再会を果たすことが目的でした。
テクノ仮設で出会った柴犬のハナちゃん、猫のマリーちゃんたちは、「わんにゃんハウス」にいた頃と変わらないのんびりとした様子で、やんちゃな柴犬のコタロウも、狭いながらも元気に暮らしていました。その健気な姿に安堵しましたが、同時に、仮設住宅での生活が持つ厳しい現実が、改めて胸に迫りました。人間が暮らしていくだけでも非常に窮屈な空間であり、被災された方々は「衣装ケース二つ分しか物を持ってこられなかった」と仰っていました。当然、大切なペットと暮らす方々にとっては、さらに限られた空間での生活を強いられています。
それでも、私たちを笑顔で迎えてくださるご家族の皆さんの姿に、感謝しかありません。しかし、別れ際に「わんにゃんハウス」で共に過ごしたご家族の方々と話していると、「これは何とかならないものか」という、やりきれない気持ちになりました。
熊本地震では、環境省が熊本県内の自治体に働きかけ、仮設住宅でのペットの入居が許可されるました。しかし自治体が、小型犬だけでなく、大型犬、中型犬も室内飼育を条件としたため、狭い住環境の中で被災者の方々は大変苦労されていました。大型犬や中型犬の室内飼育は「ペットを飼育していない被災者への配慮」という意図があったかもしれませんが、ただでさえ狭い仮設住宅の中にいる大型犬や中型犬の姿は非常に窮屈で、もちろん飼い主さん自身の居住スペースも圧迫する形となっていました。ただ単に最初からきちんと「ペット飼育世帯」と「非ペット飼育世帯」をゾーニングで分離しておけば「大型犬、中型犬は屋外の犬小屋で飼育してもよい」と出来たはずです。それだけのスペースは十分にありました。
また、テクノ仮設のすぐ隣には、解体された廃材の置き場が作られていました。これから、益城町の廃材の山がそこに築かれていくでしょう。被災された方々は、日々その現実を見ながら暮らしているのです。テクノ仮設は町の中心部から少し離れた場所にあり、第一次募集では520戸の募集に対し、200戸ほどしか集まりませんでした。中には「私たちは廃材と同じでここに棄てられた」と冗談交じりに話す方もいると聞きました。また、ペットとは直接関係ありませんが、個人的には「テクノ仮設」という無機質なネーミングにも残念な気持ちになりました。「テクノ仮設」とは近くにある「テクノリサーチパーク」という工業団体の名称から取られたものですが、どこか冷たい印象を受け、せめて名前だけでももっと温かいものにできなかったのかと、以前から疑問を抱いていました。
「わんにゃんハウス」や避難所で多くの被災者の方々と出会い、それぞれの心情や厳しい現状に触れるたび、様々な疑問が生まれます。もちろん、私たちは「もっと近くに、広くて余裕のある仮設住宅を建てろ」などと、被災された方々も、私たちも言っているのではありません。ただ、生活の全てを失ったにも等しい被災者の方々の気持ちを、ほんの少しでも感じ取り、寄り添った復興計画を立ててほしい。そう願っているだけです。
別の機会に木山仮設を訪れたときのことです。そこで耳にした話は、さらに私たちの心を締め付けました。仮設住宅の周囲には砂利が敷き詰められているのですが、その砂利の中には、磁器の破片や廃材の破片、そして釘が混じっているというのです。以前、散歩中の犬がその釘を踏んでしまい、肉球から血が出てしまったと聞きました。あるおばあさんが日々、その釘を拾い集めているそうですが、すでにビニール袋二袋分も集まったと仰っていました。
仮設の担当者からは「どうせ2年限定だから、いい加減なことをしているんだ」という言葉が出たそうです。また、テクノ仮設では以前、大雨が降った際に何棟かの住宅が床上浸水したこともありました。その原因は「排水設備がまだ未整備だったから」というものでした。その出来事を報じた新聞記事で、小さな子供が「怖いよ、怖いよ」と泣いていたと読みました。
震度7という筆舌に尽くしがたい恐怖を2度も体験し、長年住み慣れた「我が家」を失い、不自由な避難所生活を強いられてきた人々が、ようやくたどり着いた仮設住宅です。なぜ、排水設備が未整備のまま入居させ、後から工事をするのでしょうか?なぜ、釘が混じった砂利から釘を取り除かずに敷き詰めるのでしょうか?
復興を次の「フェーズ」に進めていくことはもちろん重要なことであり、災害復興においてそれが行政の最も重要なタスクであることは理解しています。しかし、そこには「人」がいます。「突然の災害で全てを失い」「明日への不安を抱えた」「被災者の方々」がいるのです。確かに被災者一人ひとりに寄り添うことが非常に困難なことであるのは理解しているつもりですが、もう少し出来たことはあったはずだと感じています。
災害時の支援において最も重要なのは、被災者のニーズを把握することです。そして、そのニーズを把握するためには、資料や統計だけでは決して不十分です。実際に被災された方々の声に耳を傾け、その感情や置かれた状況を理解するための「人と人とのコミュニケーション」が不可欠なのです。今回、仮設を訪れて改めて痛感したのは、表面的な支援だけでなく、被災者の心の奥底にある不安や痛みに寄り添い、共に解決策を模索する姿勢こそが、真の「被災者支援」であるということです。
そして、この「人と人とのコミュニケーション」と「被災者に寄り添う」ことの難しさ、そしてそれが引き起こす葛藤を示す、もう一つの事例があります。
テクノ仮設に入居された飼い主さんたちの中には、自ら「飼い主の会」を立ち上げた方々がいらっしゃいました。「わんにゃんハウス」で飼い主の会の会長を務めてくださった方が中心となり、被災し、車中泊や避難所での共同生活を通じて、ペットの適正飼育がいかに重要であるかを身をもって感じた「一般の飼い主の会」です。彼らは「この仮設で、ペットに関するトラブルをなくしたい」という強い思いから、自発的に会を結成しました。その飼い主の会を、何人かのボランティアが熱心に支援していました。
そんな中、仮設住宅の敷地内には、野良猫たちが住み着き、餌だけを与える住民も現れました。飼い主の会の皆さんは、このままでは将来的に起こるであろう問題、つまり野良猫たちの無制限な繁殖、そして餌やりさんが仮設を出て行った後の野良猫たちの処遇について、深い懸念を抱きました。彼らは、これ以上問題を大きくしないためには、捕獲して不妊去勢手術を行い、元の場所に戻す「TNR(Trap-Neuter-Return)」しか方法はない、と真剣に考えました。保護できる状況ではないからこそ、それ以外に有効な手段はないと判断したのです。これは、単なる動物愛護の感情からではなく、共同生活の場での現実的な問題解決として、被災者自身が真剣に考え抜いた結論でした。
しかし、このTNRの提案に対し、会を支援していたボランティアが、「保護できないのにTNRなんて無責任だ」と反対したのです。避難所から仮設住宅へと、ずっと支援してくれていたボランティアだったからこそ、飼い主さんたちはその言葉に反論できませんでした。感謝の気持ちと、今後もお世話になるという思いが、彼らの口を閉ざさせてしまったのです。ある飼い主さんは、後日私に「でも、あれしか方法はないんですよね…でも、言えなかった」と、打ち明けてくれました。
支援する側とされる側、という関係性が、このようなおかしな状況を生み出してしまいました。これは、TNRの是非を問う話ではありません。これは、「被災者支援とは何か?」、そして**「同行避難支援のあり方とは何か?」**という、支援の本質を問う話なのです。
被災者が自ら考えて導き出した解決策を、支援者が「それは違う」「無責任だ」と一方的に否定することが、果たして本当に被災者に寄り添うことなのでしょうか? 被災者の方々が置かれた状況、限られたリソース、そして共同生活の現実を深く理解した上で、最善の選択肢を共に模索する姿勢こそが、真の支援に他なりません。この経験は、支援が一方通行ではなく、被災者の声に耳を傾け、その主体性を尊重する双方向のコミュニケーションがあって初めて、実効性のあるものになるという、痛烈な教訓となりました。
災害支援を行う時、どうしても「支援する側」と「支援される側」というそれぞれの立場が生まれます。しかし、支援する側のボランティアがいう災害支援の原則である「被災者中心」の支援活動を行うためには、被災者の皆さんの本当のニーズ、気持ちを知らなければそれはできません。
災害支援は、知識や物資の提供だけでなく、被災者の方々の心の状態、置かれている現実、そしてそれぞれが抱く「こうしたい」という切実なニーズを、徹底的に理解しようとする姿勢が求められます。そのためには、被災者との間に確かな信頼関係を築き、形式的な「支援」ではなく、人間としての「共感」と「対話」を重ねることが不可欠です。 「支援する側」と「支援される側」の間にある見えないラインを消し、フラットな関係性を築くことで初めて、被災者の皆さんは心を開いて本当のニーズを話してくれるようになります。「○○さん、実はね…」そんな信頼関係を築くためには、ボランティアとしての「信念」や「経験」だけではなく、その前提として「コミュニケーション能力」が極めて重要なのです。